《吾輩は猫である》

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吾輩は猫である- 第57部分


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─潱à长常─硕懒σ预莆窑硐毪诉mするだけの校舎新築費を得るの途を講じ候(そろ)其(そ)は別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座候(そろ)本書は不肖針作(しんさく)が多年苦心研究せる工芸上の原理原則に法(のっ)とり真に肉を裂き血を絞るの思を為(な)して著述せるものに御座候(そろ)因(よ)って本書を普(あまね)く一般の家庭へ製本実費に些少(さしょう)の利潤を附して御購求(ごこうきゅう)を願い一面斯道(しどう)発達の一助となすと同時に又一面には僅少(きんしょう)の利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算(つもり)に御座候(そろ)依っては近頃何共(なんとも)恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下(なしくださる)と御思召(おぼしめ)し茲(ここ)に呈供仕候(そろ)秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候(なしくだされそろ)て御賛同の意を御表章被成下度(なしくだされたく)伏して懇願仕候(そろ) 々(そうそう)敬具

大日本女子裁縫最高等大学院

校長縫田針作(ぬいだしんさく) 九拝

とある。主人はこの鄭重(ていちょう)なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑唬à氦矗─沃肖嘏祝à郅Γ─贽zんだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。状袋が紅白のだんだらで、飴(あめ)ん棒(ぼう)の看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)先生虎皮下(こひか)と八分体(はっぷんたい)で肉太に認(したた)めてある。中からお太(た)さんが出るかどうだか受け合わないが表(おもて)だけはすこぶる立派なものだ。

若(も)し我を以て天地を律すれば一口(ひとくち)にして西江(せいこう)の水を吸いつくすべく、若(も)し天地を以て我を律すれば我は則(すなわ)ち陌上(はくじょう)の塵のみ。すべからく道(い)え、天地と我と什麼(いんも)の交渉かある。……始めて海鼠(なまこ)を食い出(いだ)せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚(ふぐ)を喫(きつ)せる漢(おとこ)は其勇気に於(おい)て重んずべし。海鼠を食(くら)えるものは親Вà筏螭椁螅─卧倮搐摔筏啤⒑与啵à栅埃─騿摔护毪猡韦先丈彛à摔沥欷螅─畏稚恧胜辍?嗌趁窒壬稳绀酥沥盲皮现唬à郡溃└善埃à螭预绀Γ─熙∥多幔à工撙剑─蛑毪韦摺8善挨熙∥多幛蚴常à椋─盲铺煜陇问郡郡毪猡韦稀ⅳ铯煳矗àい蓿─乐à长欤─蛞姢骸!

親友も汝(なんじ)を売るべし。父母(ふぼ)も汝に私(わたくし)あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴(ふっき)は固(もと)より頼みがたかるべし。爵禄(しゃくろく)は一朝(いっちょう)にして失うべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴(かび)が生(は)えるべし。汝何を恃(たの)まんとするか。天地の裡(うち)に何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造(でつぞう)せる土偶(どぐう)のみ。人間のせつな糞(ぐそ)の凝結せる臭骸のみ。恃(たの)むまじきを恃んで安しと云う。咄々(とつとつ)、酔漢漫(みだ)りに胡乱(うろん)の言辞を弄して、蹣跚(まんさん)として墓に向う。油尽きて灯(とう)自(おのずか)ら滅す。業尽きて何物をか遺(のこ)す。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。……

 。。



九 … 6

/小。说+
人を人と思わざれば畏(おそ)るる所なし。人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤(いきどお)るは如何(いかん)。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。只(ただ)他(ひと)の吾を吾と思わぬ時に於て怫然(ふつぜん)として色を作(な)す。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。……

吾の人を人と思うとき、他(ひと)の吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的(ほっさてき)に天降(あまくだ)る。此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参(にんじん)多し先生何が故に服せざる。

在巣鴨天道公平(てんどうこうへい) 再拝

針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風(おうふう)に構えている。寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断(ずたずた)に引き裂いてしまうだろうと思(おもい)のほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味を究(きわ)めようという決心かも知れない。およそ天地の間(かん)にわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だ。それどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命睿扦悉胜ぁI饯系亭い仍皮盲皮鈽嫟铯蟆⒂钪妞舷沥い仍皮盲皮獠睿à担─分Вà膜─à悉胜ぁ酩驻菩☆h婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊(か)とか理窟(りくつ)さえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪るいのになぜグ伞ぅ猢‘ニングですかと生徒に問われて七日間(なぬかかん)考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢(かんぴょう)の酢味噌(すみそ)が天下の士であろうと、朝鮮の仁参(にんじん)を食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧(わ)き出る訳である。主人はしばらくしてグ伞ぅ猢‘ニング流にこの難解な言句(ごんく)を呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ。何でもよほど哲理を研究した人に摺胜ぁL烨纾àⅳ盲绚欤─室娮Rだ」と大変賞賛した。この一言(いちごん)でも主人の愚(ぐ)なところはよく分るが、翻(ひるがえ)って考えて見るといささかもっともな点もある。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高(けだか)い心持が起るものだ。それだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴(ふいちょう)するにも係(かかわ)らず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌(しゃべ)る人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺(なへん)に存するかほとんど捕(とら)え難いからである。急に海鼠(なまこ)が出て来たり、せつな糞(ぐそ)が出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家(どうけ)で道徳経を尊敬し、儒家(じゅか)で易経(えききょう)を尊敬し、禅家(ぜんけ)で臨済録(りんざいろく)を尊敬すると一般で全く分らんからである。但(ただ)し全然分らんでは気がすまんから勝手な裕п嫟颏膜堡皮铯盲款啢坤堡悉工搿¥铯椁螭猡韦颏铯盲郡膜猡辘亲鹁搐工毪韦衔簸橛淇欷胜猡韦扦ⅳ搿(D―主人は恭(うやうや)しく八分体(はっぷんたい)の名筆を巻き迹幛啤ⅳ长欷蚧悉酥盲い郡蓼迲郑à栅趣长恧牵─颏筏期は耄à幛い饯Γ─松颏螭扦い搿

ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のまま毫(ごう)も動こうとしない。取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。下女は先刻(さっき)洗濯(せんたく)石鹸(シャボン)を買いに出た。細君は憚(はばか)りである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱(くつぬぎ)から敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うと遥à栅工蓿─蚨趣ⅳ堡郡觊'(た)てたりして、今度は書斎の方へやってくる。

「おい冗談(じょうだん)じゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」

「おや君か」

「おや君かもないもんだ。そこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家(あきや)のようじゃないか」

「うん、ちと考え事があるもんだから」

「考えていたって通れくらいは云えるだろう」

「云えん事もないさ」

「相変らず度胸がいいね」

「せんだってから精神の修養を力(つと)めているんだもの」

「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だね。そんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ。大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」

「誰を連れて来たんだい」

「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。是非君に逢いたいと云うんだから」

「誰だい」

「誰でもいいから立ちたまえ」

。。



九 … 7

…。网
主人は懐手(ふところで)のままぬっと立ちながら「また人を担(かつ)ぐつもりだろう」と椽側(えんがわ)へ出て何の気もつかずに客間へ這入(はい)り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然(しゅくぜん)と端坐(たんざ)して控(ひか)えている。主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙(からかみ)の傍(そば)へ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。昔堅気(むかしかたぎ)の人は礼義はやかましいものだ。

「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促(うな)がす。主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後(ご)ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間(ま)の変化したもので、上使(じょうし)が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑(がん)と構えているのだから上座(じょうざ)どころではない。挨拶さえ碌(ろく)には出来ない。一応頭をさげて

「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。

「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」

「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。

「どうもそう、御謙遜(ごけんそん)では恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠懀Г胜ⅳ丹ⅳ嗓Δ尽

「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤(まっか)になって口をもごもご云わせている。精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は遥à栅工蓿─斡挨樾Δい胜榱⒁姢颏筏皮い郡ⅳ猡Δいr分だと思って、後(うし)ろから主人の尻を押しやりながら

「まあ出たまえ。そう唐紙(からかみ)へくっついては僕が坐る所がない。遠懀Г护氦饲挨爻訾郡蓼ā工葻o理に割り込んでくる。主人はやむを得ず前の方へすり出る。

「苦沙弥君これが
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