《吾輩は猫である》

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吾輩は猫である- 第56部分


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袱筏妞婴切”扦驌幔à剩─扦啤幛扦恐袱晤^を机の上にあった吸取(すいと)り紙(がみ)の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏(あぶら)が丸(ま)るく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹(とまつ)した指頭(しとう)を転じてぐいと右眼(うがん)の下瞼(したまぶた)を裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退(の)けた。あばたを研究しているのか、鏡と睨(にら)め競(くら)をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻(こんにゃく)問答的(もんどうてき)に解釈してやれば主人は見性自覚(けんしょうじかく)の方便(ほうべん)としてかように鏡を相手にいろいろな仕草(しぐさ)を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川(さんせん)と云い日月(じつげつ)と云い星辰(せいしん)と云うも皆自己の異名(いみょう)に過ぎぬ。自己を措(お)いて他に研究すべき事項は誰人(たれびと)にも見出(みいだ)し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝(あした)に法を聴き、夕(ゆうべ)に道を聴き、梧前灯下(ごぜんとうか)に書巻を手にするのは皆この自証(じしょう)を挑撥(ちょうはつ)するの方便(ほうべん)の具(ぐ)に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至(ないし)は五車(ごしゃ)にあまる蠧紙堆裏(としたいり)に自己が存在する所以(ゆえん)がない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊(むれい)より優るかも知れない。影を追えば本体に逢着(ほうちゃく)する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分(だいぶ)話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑(うのみ)にして学者ぶるよりも遥(はる)かにましだと思う。

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九 … 4

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鏡は己惚(うぬぼれ)の幔炱鳏扦ⅳ毪搐趣⑼瑫rに自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動(せんどう)する道具はない。昔から増上慢(ぞうじょうまん)をもって己(おのれ)を害し他を (そこの)うた事蹟(じせき)の三分の二はたしかに鏡の所作(しょさ)である。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚(ねざめ)のわるい事だろう。しかし自分に愛想(あいそ)の尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然(けんしゅうりょうぜん)だ。こんな顔でよくまあ人で候(そうろう)と反(そ)りかえって今日(こんにち)まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯(しょうがい)中もっともありがたい期節である。自分で自分の馬鹿を承知しているほど尊(たっ)とく見える事はない。この自覚性(じかくせい)馬鹿(ばか)の前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然(こうぜん)として吾を軽侮(けいぶ)嘲笑(ちょうしょう)しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己(おの)れの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕(とうこん)の銘(めい)くらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤(いや)しきを会得(えとく)する楷梯(かいてい)にもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。

かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分(だいぶ)充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼(まぶた)をこすり始めた。大方(おおかた)痒(かゆ)いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦(こす)ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛(しおだい)の眼玉のごとく腐爛(ふらん)するにきまってる。やがて眼を開(ひら)いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常(ふだん)からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌(こんとん)として郅劝籽郅逝校à郅Δ悉螅─筏胜い椁つ唬à肖激螅─趣筏皮い搿1摔尉瘠鼥V(もうろう)として不得要領底(てい)に一貫しているごとく、彼の眼も曖々然(あいあいぜん)昧々然(まいまいぜん)として長(とこし)えに眼窩(がんか)の奥に漂(ただよ)うている。これは胎毒(たいどく)のためだとも云うし、あるいは疱瘡(ほうそう)の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐(かい)あらばこそ、今日(こんにち)まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁(かいじゅうこんだく)の悲境に彷徨(ほうこう)しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明(ふとうふめい)の実伲闃嫵嗓丹欷皮い啤ⅳ饯巫饔盲祽炰闈鳎àⅳ螭郡螭幛い猡Γ─螛Oに達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚(ぐ)なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭(てんぽうせん)のごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに摺胜ぁ

今度は髯(ひげ)をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生(は)えている。いくら個人主義が流行(はや)る世の中だって、こう町々(まちまち)に我儘(わがまま)を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑(かんが)みるところあって近頃は大(おおい)に訓練を与えて、出来る限り系統的に按排(あんばい)するように尽力している。その熱心の功果(こうか)は空(むな)しからずして昨今ようやく歩眨伽筏趣趣韦Δ瑜Δ摔胜盲评搐俊=瘠蓼扦削驻à希─à皮盲郡韦扦ⅳ毪ⅳ长雾暏削驻蛏浃筏皮い毪韦坤茸月工毪椁い摔胜盲俊嵝膜铣蓜郡味趣藦辘袱乒奈瑁à长郑─护椁欷毪猡韦扦ⅳ毪椤⑽幛驻吻巴居型胜辘纫姢皮趣盲浦魅摔铣氏Δ省⑹证工い皮欷斜丐瑚祝à窑玻─讼颏盲票迵椋à伽螭郡模─蚣婴à搿1摔违ⅴ啷鹰伐绁螭隙酪荩ē丧ぅ模┗实郾菹陇韦瑜Δ恕⑾蛏悉文瞍螣耄à丹螅─树驻蛐睿à郡铮─à毪摔ⅳ搿¥饯欷坤槊祝à堡ⅳ剩─嵯颏扦ⅳ恧Δ趣狻⑾孪颏扦ⅳ恧Δ趣饬模àい丹担─D着なく十把一(じっぱひ)とからげに握(にぎ)っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否(いや)でも応でもさかに扱(こ)き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性(ほんせい)を撓(た)めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫(ごう)も非難すべき理由はない。

主人が満腔(まんこう)の熱栅颏猡盲器驻蛘{練していると、台所から多角性の御三(おさん)が啵П悚韦辘蓼筏郡取⒗韦搐趣啶な证颏踏盲葧鴶趣沃校àΔ粒─爻訾筏俊S沂郑à撙─索驻颏膜摺⒆笫郑à窑坤辏─绥Rを持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆(さ)か立(だ)ちを命じたような髯を見るや否や御多角(おたかく)はいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜(おかま)の蓋(ふた)へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々(ゆうゆう)と鏡をおろして啵П悚蛉·晟悉菠俊5谝恍扭匣畎妞氦辘呛韦坤い幛筏の淖证瑏Kべてある。読んで見ると

。。



九 … 5

...
拝啓愈(いよいよ)御多祥奉賀候(がしたてまつりそろ)回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢(いきおい)に仱袱破胶涂藦亭蚋妞参嶂矣铝x烈なる将士は今や過半万歳声裡(り)に凱歌を奏し国民の歓喜何ものか之(これ)に若(し)かん曩(さき)に宣戦の大詔煥発(たいしょうかんぱつ)せらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境に在(あ)りて克(よ)く寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事し命(めい)を国家に捧げたるの至栅嫌坤懁筏仆毪伽椁钉胨胜甓à筏长Γ─筏栖婈牑蝿P旋は本月を以て殆(ほと)んど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉(いしゃ)せんが為め熱罩à长欤─蛴模àい丹丹└兄xの微衷(びちゅう)を表し度(たく)就(つい)ては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するの幸(さいわい)を得ば本会の面目不過之(これにすぎず)と存候(そろ)間何卒(なにとぞ)御賛成奮(ふる)って義捐(ぎえん)あらんことを只管(ひたすら)希望の至に堪(た)えず候(そろ)敬具

とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過の後(のち)直ちに封の中へ巻き迹幛浦椁箢啢颏筏皮い搿Ax捐などは恐らくしそうにない。せんだって枺毙鬃鳏瘟x捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人毎(ごと)に義捐をとられた、とられたと吹聴(ふいちょう)しているくらいである。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極(きま)っている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでも罹(かか)ったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談(ごうだん)で持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎した後(あと)なら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕(ちょうせき)に差(さ)し支(つか)える間は、歓迎は華族様に任(まか)せておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と云った。

時下秋冷の候(こう)に候(そろ)処貴家益々御隆盛の段奉賀上候(がしあげたてまつりそろ)陳(のぶ)れば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共(そうらえども)是れ皆不肖針作(ふしょうしんさく)が足らざる所に起因すと存じ深く自(みずか)ら警(いまし)むる所あり臥薪甞胆(がしんしょうたん)其の苦辛(くしん)の結果漸(ようや)く茲(ここ)に独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じ候(そろ)其(そ)は別義にも
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