=處煠殬Iであるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上(ぎゃくじょう)して来た。この逆上の頂点に達した時に下(しも)の事件が起ったのである。
事件は大概逆上から出る者だ。逆上とは読んで字のごとく逆(さ)かさに上(のぼ)るのである、この点に関してはゲ欹螭猊靴楗互毳单工饩杀驻胜氡怡o(へんじゃく)も異議を唱(とな)うる者は一人もない。ただどこへ逆(さ)かさに上(のぼ)るかが問睿扦ⅳ搿¥蓼亢韦妞丹松悉毪h論のあるところである。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒液(どえき)と云う奴(やつ)がある。これが逆かさに上ると怒(おこ)り出す。第二に鈍液(どんえき)と名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経が鈍(にぶ)くなる。次には憂液(ゆうえき)、これは人間を陰気にする。最後が血液(けつえき)、これは四肢(しし)を壮(さか)んにする。その後(ご)人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間(ま)にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極(き)まっている。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾(さか)んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から远悉颏工毪染欷文嫔悉仍皮φ撙扦ⅳ搿¥扦长文嫔悉虬K(い)やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさに上った奴を下へ降(おろ)さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡(ぬ)れ手拭(てぬぐい)を頭にあてて炬牐Вà长郡模─摔ⅳ郡盲皮椁欷郡饯Δ馈n^寒足熱(ずかんそくねつ)は延命息災の徴と傷寒論(しょうかんろん)にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住(いっしょふじゅう)の沙門(しゃもん)雲水行脚(うんすいあんぎゃ)の衲僧(のうそう)は必ず樹下石上を宿(やど)とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせを下(さ)げるために六祖(ろくそ)が米を舂(つ)きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫(ごう)も疑を挟(さしはさ)むべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分(だいぶ)発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中(うち)でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱(こまぬ)いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気摺萎惷àい撙绀Γ─恰葸‘にならないと家業(かぎょう)が立ち行かんとあっては世間体(せけんてい)が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合せてインスピレ伐绁蟆ⅴぅ螗攻豫飑‘ションとさも勿体(もったい)そうに称(とな)えている。これは彼等が世間を瞞着(まんちゃく)するために製造した名でその実は正に逆上である。プレ醛‘は彼等の肩を持ってこの種の逆上を神拢胜肟駳荬群扭筏郡ⅳい樯衤}でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレ伐绁螭仍皮π掳k明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾(かまぼこ)の種が山芋(やまいも)であるごとく、観音(かんのん)の像が一寸八分の朽木(くちき)であるごとく、鴨南蛮(かもなんばん)の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋(ぎゅうなべ)が馬肉であるごとくインスピレ伐绁螭鈱gは逆上である。逆上であって見れば臨時の気摺扦ⅳ搿z鴨へ入院せずに済むのは単に臨時気摺扦ⅳ毪椁馈¥趣长恧长闻R時の気摺蜓u造する事が困難なのである。一生涯(いっしょうがい)の狂人はかえって出来安いが、筆を執(と)って紙に向う間(あいだ)だけ気摺摔工毪韦稀ⅳい饲烧撸à长Δ筏悖─噬駱敜扦猡瑜郅晒扦郅欷毪纫姢à啤ⅳ胜胜珤帲à长筏椋─à埔姢护胜ぁI瘠鳏盲皮欷笠陨悉献粤Δ菕帳à胜堡欷肖胜椁蟆¥饯长俏簸榻袢眨à长螭摔粒─蓼悄嫔闲gもまた逆上とりのけ術と同じく大(おおい)に学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレ伐绁螭虻盲毪郡幛藲叭諟i柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るという理論から来たものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂(てっぽうぶろ)へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極(きま)っていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒(ぶどうしゅ)の湯をわかして這入(はい)れば一返(ぺん)で功能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人の真似をしたらインスピレ伐绁螭黏毪坤恧Δ人激い膜い空撙ⅳ搿¥长欷悉ⅳ肴摔螒B度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。酔っぱらいのように管(くだ)を捲(ま)いていると、いつの間(ま)にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレ伐绁螭蚴埭堡坑忻未蠹窑嗡鳎à筏绀担─蛘嫠皮欷斜丐耗嫔悉工毪讼噙‘ない。聞くところによればユ穿‘は快走船(ヨット)の上へ寝転(ねころ)んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ仱盲魄嗫栅蛞姢膜幛皮い欷斜丐耗嫔鲜芎希àΔ堡ⅳぃ─扦ⅳ搿%攻俩‘ヴンソンは腹這(はらばい)に寝て小説を書いたそうだから、打(う)つ伏(ぷ)しになって筆を持てばきっと血が逆(さ)かさに上(のぼ)ってくる。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。まず今日(こんにち)のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。残念だが致し方がない。早晩随意にインスピレ伐绁螭蚱黏返盲霑r機の到来するは疑(うたがい)もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。
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逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥(おちい)る弊福Вà丐い趣Γ─扦ⅳ搿V魅摔文嫔悉庑∈录朔辘Χ趣艘粚婴蝿∩酰à菠袱螅─蚣婴à啤ⅳ膜い舜笫录蛞黏筏郡韦扦ⅳ毪椁筏啤追证饯伟k達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴(あっぱれ)な逆上と郑àΔ浚─铯欷胜皮蠌垽旰悉胜い坤恧Α¥长欷槭訾伽胧录洗笮·藗S(かかわ)らず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責(せ)めて逆上なりとも、正銘(しょうめい)の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性伲蛴肖筏皮椁蟆D嫔悉扦庾月筏胜皮悉郅斯扦蛘郅盲茣ⅳ皮皮浃敕Nがない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分(じっぷん)の休暇、もしくは放課後に至って熾(さかん)に北側の空地(あきち)に向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボ毪瘸疲à趣剩─à啤⒗薹勰荆à工辘长─未螭逝颏猡盲迫我猡长欷驍持肖税k射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の邉訄訾榘k射するのだから、書斎に立て唬à长猓─盲皮胫魅摔酥校àⅳ浚─霘萸玻à扭ぃ─悉胜ぁ长趣いà嗓鈴幍坤韦ⅳ蓼赀h過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボ毪趣いà嗓庀嗟堡喂騾Г岬盲淌陇悉胜ぁ¥い铯螭湟话kを送る度(たび)に総軍力を合せてわ韧䥽樞裕àい护ぃ┐笠羯à坤い螭袱绀Γ─虺觯àい溃─工摔い皮颏浃扦ⅳ搿V魅摔峡挚sの結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶(はんもん)の極(きょく)そこいらを迷付(まごつ)いている血が逆(さか)さに上(のぼ)るはずである。敵の計(はかりごと)はなかなか巧妙と云うてよろしい。昔(むか)し希臘(ギリシャ)にイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿(はげ)と云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相摺胜ぁQд咦骷窑悉猡盲趣舛啶^を使うものであって大概は貧乏に極(きま)っている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢(いきおい)禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭(きんかんあたま)を有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行(よそゆき)も普段着(ふだんぎ)もないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間摺い韦猡趣扦ⅳ搿6dげ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲(わし)が舞っていたが、見るとどこかで生捕(いけど)った一疋(ぴき)の亀を爪の先に攫(つか)んだままである。亀、スッポンなどは美味に相摺胜い⑾ED時代から堅い甲羅(こうら)をつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老(えび)の鬼殻焼(おにがらやき)はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲(わし)も少々持て余した折柄(おりから)、遥(はる)かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正(まさ)しく砕けるに極(き)わまった。砕けたあとから舞い下りて中味(なかみ)を頂戴(ちょうだい)すれば訳はない。そうだそうだと覗(ねらい)を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎(あいにく)作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨(むざん)の最後を遂げた。それはそうと、解(げ)し