《吾輩は猫である》

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吾輩は猫である- 第4部分


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ある。主人は例の書斎でこの剑颉⒑幛橐姢郡辍⒏w(たて)から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗(ね)じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相(さんぜそう)を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝(ひざ)が揺れて険呑(けんのん)でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇(はげ)しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云(い)う。主人は剑藭紊摔细蟹筏郡ⅳい皮ⅳ雱游铯握澶证椁踏韦恰ⅳ丹盲榭嘈膜颏筏郡猡韦纫姢à搿¥饯螭史证椁探}端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半(なか)ば開いて、落ちつき払って見ると紛(まぎ)れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア·デル·サルトを極(き)め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相摺胜ぁI伽费圩Rのあるものなら、猫の中(うち)でも他(ほか)の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描(か)いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその剑彷叅扦ⅳ毪仍皮κ陇蛑椁筏皮浃辘郡ぁN彷叅扦ⅳ毪仍皮κ陇悉瑜贩证椁胜い摔筏皮狻ⅳ护幛泼à扦ⅳ毪趣いκ陇坤堡戏证椁筏皮浃辘郡ぁ¥筏啡碎gというものは到底(とうてい)吾輩猫属(ねこぞく)の言語を解し得るくらいに天の悾à幛挨撸─嗽·筏皮椁髣游铯扦ⅳ毪椤⒉心瞍胜椁饯韦蓼蓼摔筏皮い俊

ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口眨颏猡盲莆彷叅蛟u価する癖があるははなはだよくない。人間の糟(かす)から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入(はい)って見るとなかなか眩jなもので十人十色(といろ)という人間界の語(ことば)はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな摺Αw祝à窑玻─螐垽昃吆悉槎瘟ⅳ涟磁牛àⅳ螭肖ぃ㈠晡玻à筏盲荩─未工旒訙pに至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋(すいぶすい)の数(かず)を悉(つ)くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性伲蠠o論相貌(そうぼう)の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔(むか)しからある語(ことば)だそうだがその通り、餅屋(もちや)は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自(みずか)ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣(かき)のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開(ひら)いた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構(つらがまえ)をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画(え)だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。

吾輩が主人の膝(ひざ)の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の剑藭àà悉─虺证盲评搐俊R姢毪然畎妞遣袄搐蚊à奈羼猓à窑─氦椁辘刃辛肖筏匹讠螭蛭栅盲郡陼铯蜷_いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍(おど)っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と─趣い啤⒂窑蝹龋à铯─藭蛘iむや躍(おど)るや猫の春一日(はるひとひ)という俳句さえ認(したた)められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶(うかつ)な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻(ひね)って、はてな今年は猫の年かなと独言(ひとりごと)を言った。吾輩がこれほど有名になったのを未(ま)だ気が着かずにいると見える。

ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は剑藭扦悉胜ぁ9зR新年とかいて、傍(かたわ)らに乍恐縮(きょうしゅくながら)かの猫へも宜(よろ)しく御伝声(ごでんせい)奉願上候(ねがいあげたてまつりそろ)とある。いかに迂遠(うえん)な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは摺盲贫嗌僮鹁搐我猡蚝螭扦い毪瑜Δ怂激铯欷俊=瘠蓼鞘篱gから存在を認められなかった主人が急に一個の新面目(しんめんぼく)を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。

。。



二 … 2

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おりから門の格子(こうし)がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋(さかなや)の梅公がくる時のほかは出ない事に極(き)めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈(へんくつ)になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性(こんじょう)をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月(かんげつ)さんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話(はな)しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ撸Г婴死搐搿@搐毪茸苑证蛄担à猓─盲皮い肱肖辘饯Δ省oさそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄(すご)いような艶(つや)っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点(がてん)が行かぬが、あの牡蠣的(かきてき)主人がそんな談話を聞いて時々相槌(あいづち)を打つのはなお面白い。

「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大(おおい)に活動しているものですから、出(で)よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐(ひも)をひねくりながら謎(なぞ)見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、揪d(くろもめん)の紋付羽織の袖口(そでぐち)を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し摺盲糠浇扦恰工群戮ΔΑR姢毪冉袢栅锨皻nが一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問睿蜍灓袱俊!袱à▽gはある所で椎茸(しいたけ)を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘(かさ)を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭(じじいくさ)いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽(かろ)く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の摔坤盲曝摛堡饯Δ猡ⅳ辘蓼护螭汀⒘⑴嗓胜猡韦馈工群戮洗螅àぃ─宋彷叅蛸p(ほ)める。「近頃大分(だいぶ)大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺(ちょう)とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私(わたし)がその中へまじりましたが、自分でも善く弾(ひ)けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨(うらや)ましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌(こぼくかんがん)のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚(ほ)れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着(れんちゃく)するという事が諷刺的(ふうしてき)に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故(なぜ)牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底(とうてい)分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性伲à郡粒─坤椁坤趣庠皮Α¥嗓盲沥摔筏郡盲泼髦韦螝s史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連(おんなづ)れを羨まし気(げ)に尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取(くちとり)の蒲鉾(かまぼこ)を箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人とも去(さ)る所の令嬢ですよ、御存じの方(かた)じゃありません」と余所余所(よそよそ)しい返事をする。「ナ搿工戎魅摔弦龔垽盲郡袱郅伞工蚵预筏瓶激à皮い搿:戮悉猡ι疲àぃ─ぜ訙pな時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑(おひま)ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促(うな)がして見る。主人は旅順の陥落より女連(おんなづれ)の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり揪dの紋付羽織に、兄の紀念(かたみ)とかいう二十年来着古(きふ)るした結城紬(ゆうきつむぎ)の綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走(しわす)も正月もない。ふだん着も余所(よそ)ゆきもない。出るときは懐手(ふところで)をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。

両人(ふたり)が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾(かまぼこ)の残りを頂戴(ちょうだい)した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕(ももかわじょえん)以後の猫か、グレ
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